私の高校卒業式

 

この記事を書き始めたのは4月の始め。

TwitterのTLで、高校を卒業したよ、なんて言葉がチラホラ出て、懐かしくて。

こっそり見ていたけど一人一人にドラマがあって、素敵でした。

 

あなたの高校卒業、高校生活の思い出はなんですか?

 

私の高校生活は、少し特殊でした。

 

 

 

私は調理師の専門高校に通っていました。

高校+専門学校と思っていただければ良いです。

3年間、”高校の勉強”と”調理師の勉強”を並立して学び、3年後に高校卒業と調理師免許の資格両方とも取れるという一度で二度おいしいシステム。

 

元々私がその学校を選んだ理由は、中学校ロクに勉強せず引きこもってゲーム(FF11)ばっかりやっていたので、一般教科の勉強は追いつけないだろうし、せめて専門科目で1から学んでいこう、そんな安易な理由でした。

いじめやら教師不信やらなんやら色々あって毎日学校行く事さえ出来なかった自分が改心していざ高校に行ってみると、もちろん人との付き合いで多くの壁がありました。

「字綺麗。勉強できるんだね。ノート見せて」

「のりかして」

(好き勝手に使いやがって)

ただ、気の合う友人に助けられて、なんとか乗り越えていく事が出来ました。

担任の教師も、私は元々不登校っていうのもあって気を遣ってたらしいです。

 

1年経って、成績発表。

皆勤賞、学年3位という優秀な成績が取れました。ちなみに不登校不登校と言っていましたが中学校2~3年生までの私の出席状況ですが、1ヶ月に1日出席すればいい方でした。両親は「皆勤賞」というだけでも嬉しいのに、学年3位まで取ってすごいすごい!と大喜びしていました。

この成績表を受ける時の三者面談で担任から言われた言葉は今でも一字一句間違えず思い出せます。

「ご本人は”なんで?”と思うかもしれませんが、もっと自信を持ってください。」

当時の自分としては、「毎日学校に行く」という事を目標に頑張ってきたのに、予想以上の成果が得られてビックリしました。4月の入学式から、1日行った、2日行った、・・・本当に1日、1日を数えてました。

学校が始まって、「一緒にお弁当食べよう」この一言がどんなに嬉しかった一言だったか。コンビニに1人で行くのも恐怖の塊。

中学生の時に、不審者に出会って泣きながら帰って。それでも親を心配させたくなかったから警察にも誰にも言わないで学校休んでたりもしていました。

 

普通の事を普通に出来るって、結構難しい事だったんだな。そんな1年でした。

 

高校二年生にもなると、進路を決めていかなければなりません。就職するのは怖いから進学だろうな、という方針は決まっていたのですが専門ではなく大学という選択肢を選んだ事が人生を大きく変えました。

正直、この高校の一般教科の授業では、中学レベルの物を扱っていたのでまず古文とか漢文とかもあんまり分かってませんでした。ちなみに私は三角形の証明問題が今でも解けません

 

それでも、こうやって学校が行けない不登校野郎から学校へ毎日行けるようになって成績も優秀になれて。

もう少しやれるだけやってみようと思い立ち、大学受験を志す事になりました。

通例、調理師の専門学校ですから、製菓の専門学校に行ったり、他の専門学校に行ったり、就職したり、という進路が大半でした。大学受験をする生徒は3年振り、もちろん私だけ。

折角友達が出来て1人じゃなくなったのに、また1人になるという孤独感を背負いつつ、勉学に励んでいきました。

 

3年生になると、先生も校長も私の大学受験を本格的に応援し始めて、一般教科の授業は、別の教室で1人で大学受験に向けた自習をしてもいいという事になりました。(その代わり、中間・期末テスト一発で成績が決まるという恐怖。)

 

誰も使わなくなった教室に1人ぽつん。

 

そこには古びた本が沢山並んで居ました。ミシンの使い方、今日の料理。以前使っていた教科書。黒板もあったけど使わないので、1人で落書きしたり。

 

ずーっと一人。たまに見回りの先生が来て「やってるね」。

時間割によっては、午前中誰とも喋らずにようやく昼休みにクラスへ戻って初めて話す日もありました。

ただ、私は本当に友人に恵まれていました。(今でも恵まれてる。)

昼休みに1人で教室に戻って来ても「お疲れー」と言ってお弁当の席を用意してくれていました。

 

段々と受験シーズンが近づいていきます。

学校の先生から推されて、自己推薦も狙って居ましたが、落ちました。

そのあたりから段々ストレスが貯まっていきます。

8月。早々と専門学校に進学が決まっていく同級生達。

12月。いつまでも1人だけ進路が決まらない焦燥感。

 

そんな気持ちから、ひょんな一言で友達を傷つけて、さらには担任から呼び出されて、説教くらって、それからまた学校に行かなくなりました。

当時、「自分は悪くない」という自衛が出来なかったのでただただ辛かったです。

(もちろん今でも自分が悪いと思っているけど、”こういう事があって”とか説明する事が出来なかった。)

 

そして2月にもなると学校がお休みになります。

受験シーズン真っ只中、私はインフルエンザになってしまって思うような結果が出せませんでした。滑り止めの滑り止めの滑り止めくらいでしょうか、でも頑固たる意思で浪人だけはしたくなかったので、妥協をしました。

「大学に合格出来ただけでよかった」周りの人はみんな褒めてくれました。

 

ディズニーランド1泊2日卒業旅行の日。私は最後の受験があったので1人だけ遅れてアフターシックスパスポートを用意してもらっていました。

最後の受験を終えて、舞浜へ向かう京葉線

「ああ、終わったんだ。高校生活も終わるんだ。」

3年間頑張った事は1時間2時間そこいらのテストで全てが決まる。

それがあまりにあっけなくて電車の中で思い更けていました。

 

着いたのは18:30くらい、2月なので外は真っ暗。私がどんなに辛い時でも傍に居てくれた高橋さんはその時も入口で待ってくれていた。もちろん他の友人もすぐ合流してくれて、安心感からか泣きそうでした。

もう勉強しなくてもいいという解放感、現実味の無い遊園地。

卒業旅行で気持ちの整理が追いつかないまま、高橋さんは

「いいからビッグサンダーマウンテン乗ろうぜwww」と手を引っ張ってくれました。

待ち時間、ずっと高橋さんと恋愛観を語って居たのを今でも思い出します。

「別れたんだって?」

「そうそう」

「ぷぎょおおおwwww」

「やめろwwwwwwww」

 

 

楽しむだけ楽しんで帰ったら帰ったでまだやる事がありました。

不登校で行かなかった分の補修が24時間分貯まっていたので、調理室で調理実習の先生とマンツーマンで授業してました。

といっても、何か料理するにしても自分で材料を持って行ってました。

この頃にはもう包丁持つ気にならなくて叱られてました。

「いくらこれから違う勉強していくとはいえ、調理師としての立場があるんだからしっかりやれ」

取り合えず先生と生徒が居るだけの24時間を終わらせて、無事に卒業が確定すると、

 

残りは卒業式。

 

式中に両サイドが泣きだしたり、その後の謝恩会で担任まで泣いたり、泣かないあの子まで泣いたり。は想定内。

勉強からの解放感が大きすぎて、泣く事もできませんでした。

びゃあびゃあ泣くみんなを置いて、こっそり高橋さんと2人でカラオケに行きました。ボカロから高校生の思い出の曲を歌っても歌っても流れぬ涙。

「手紙~拝啓 十五の君へ~」ソプラノ担当の2人の歌声はカラオケルームに響きます。

しかし涙腺には響かず、「だめなヤツらだな」とか言いながら帰る。

どうせ明日にでもまた会おうと思えば会えるんだ。

歌うだけ歌って楽しかった。

そんな思いで帰って来て、

持ち変えるだけ持ちかえってきた学校のノートとか書籍とかを見始めます。

連絡ノート、担任とのやり取りがずっと綴ってありました。

「私は年上の彼氏が居て~みんなとは合わないと思うけど~頑張ります~」

(ノートを見返してる時点で破局済み)

「この調子で頑張っていきたいです~」

「私は文系の朝田龍太郎になります」(?)

・・・・

そして卒業といえば。大物、卒業アルバムを見てみる。

あ~あんなことあったな、こんなことあったな。

1年生懐かしいなぁ。

2年生、3年生の写真を見てみる。

「あったあった。あれ?」

違和感があった。

「こんなところ行ったっけ?」

いや、よくみると集合写真で私だけいない。

何故か?

それは受験のせい。塾があるから早く帰るとか、最後に友達といざこざがあってずっと休んだりとか、そんな理由で写って無くて。

みんな、笑ってた。

間違いなく、その時の私は勉強に追われて笑う事が出来ていなかった。

 

「受験無かったら、みんなと笑って、ここに写ってたんだろうか。」

 

そう思った時に、ぽろり、とようやく涙が出て来ました。

ふと顔を上げて部屋を見渡すと、

山積みになった英語のプリント、

日本史の用語集、

バラバラになった古典単語。

 

結局、傷つけた友達には「ごめんね」の一言も言わず、卒業したのでした。

 

 

 

 

 

 

時は経って大学3年生くらいかな、Facebookとかで高校生の同級生を友達にしはじめると、ふとあの時傷つけてしまった子も友達になっていました。

「あの時はごめんね」なんて気軽に言うことができました。

当時ももちろんメールとかできたんですけどね、思春期もあって、人間関係を築くのが下手すぎて、本当にたった一言が出ないものです。

 

 

走り出して、止まらなくて、何かに夢中になっても、

時々立ち止まって、大事なモノを見失わないようにしたい。

 

そんな戒めも込めて執筆しました。