今年の2月から、お友達のご紹介を受けPSO2を始めまして。バウンサーとかよくわからないクラスを75にしている間に懐かしいアイテムが出てくる。「サイコウォンド」「カジューシース」「ドラゴンスレイヤー」「赤の~」「ラヴィス=カノン」・・・
きっと、初代PSOシリーズをプレイしていた人種にとっては、その名前を見るだけで思い出がフラッシュバックすること待った無し。「ラヴィス=カノン」なんてアイテムを取る為にゲームハードを壊すんですよ。すごいでしょ。
※レアエネミーを出現させるために、すごい勢いでダンジョンと街を行き来する方法があって、そのエリアチェンジが本体に負担をかける?みたいな奴。参照:生涯PSO
遡る事、私は小学校の頃にGC版(ゲームキューブっていうハード。今の子分かるの?wiiの1個前だよ。)のPSOをやりこんでいた。今でも忘れない2002年の12月25日、私は前もってパッパサンタさんにハード(GC)とソフト(PSO)を頼んでいた。毎年皆勤賞のサンタさんは今年も来るだろうと、幼い頃の私は純粋にも信じて楽しみに寝ている明朝の娘―
・・・対してパッパにとっては、今年のクリスマスは衝撃的な年になった。通念通りなら娘は「キティちゃんのぬいぐるみ」とか、そんなかわいいものを頼んできていた。今年もそんなものに違いない。さあ、娘よ、ねがいを叶えてあげよう。・・・そんな考えとは裏腹に娘がいきなりゲームハード・ゲームソフトを頼みだしたのだ。私がサンタさんだったら「私がサンタだ。その願いは受け入れられない」とか明かすだろうけど、
うちのパッパ(父)は違った。
2002年ももちろんサンタさんが来た。プレゼントもちゃんと来たんだ。GCとPSO!やったぜ!!
しかしちょっとした事件が起きた。
問題はどこにあったかというと同年、私の兄もサンタさんにPS2とゲームソフト(忘れた。チョロQとか)を頼んでいた。つまり、パッパにとっては「PS2とGCとゲームソフト2本」の莫大な出費になったのだ。
それによりサンタさんから「来年はもうちょっと安いのでお願いします」と動揺の見られる置き手紙が来たのだ。
大事件だ。
「返信なんて来た事無いのに!?来年サンタさん来てくれないのかな;;」なんて思っていた小学生の私。嬉しさ反面、来年の身の振るまい方を小学生なりに考えていた。
・・・お父さんが仕事へ戻った頃に、母親から呼び出され、話があった。
「サンタさんは居ない、お父さんよ」という事実。
小学生の無垢な私にとっては、青天の霹靂だった。
もう、何がなんだか分からなくて、
取り合えずPSOを起動して我武者羅に遊んでいた。
毎年最寄りの郵便局でフィンランドに手紙を出していたのに。ただただ私は郵便屋さんの仕事を増やしていただけだったのだ。みんなサンタさんに手紙出してたのに。学校でも、「サンタさんは居る派」「サンタさんは居ない派」で綺麗に別れていたのに。私は明日から「サンタさんは居ない派」に移るのだ。あのよくわからない代表委員のフジタは気にくわないけど、そっちの派に移らないといけないのだ・・・・
その事実は、ランドセルを持つのに精いっぱいな体には重たすぎた。
おっとサンタさんへの思いを書き始めると文字が足りなくなりそうだ。
これが、私とPSOの初めての出会いだ。
サンタさんを犠牲にして手に入れたのだ。
その時、ちょっと大人になったのかもしれない。
『ファンタシースターオンライン エピソード1&2』 (Phantasy Star Online Episode1&2) は、2002年9月12日にニンテンドーゲームキューブ用ソフトとして発売されたネットワーク対応RPG。
【引用:ファンタシースターオンライン エピソード1&2 - Wikipedia】
こうして数字で見ると・・・
13年前!?もうプレイしていたみんなはおじさんおばさんですよこれは。
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当時小学生だった私はお兄ちゃんとゲームすることが大好きで(今でも一緒にFF11、FF14とかやってるけどね)、ファンタシースターオンラインも一緒にやってました。
オフラインで。
これじゃあファンタシースターオフラインじゃねえか・・・(それでも楽しめてた。)
当時はもちろんネットがあまり流通していなかった。携帯はガラケー(パカパカ開くやつ)、パソコンは一家に一台あるかないか、子供はパソコン室でいじるくらい。でっかいディプレイで低解像度、フロッピィ、手からはみ出るでっかいマウス。
そんな環境下でモデムアダプターを買って・・・LANケーブル繋げて・・・てか回線って何?オンラインって何??って感じで、オンラインで遊ぶというところまで考えられませんでした。(というか小学生だし、無理だし、当時考えられて実行出来たら今頃そういう事で飯食ってる。)
私はオフラインモードで普通にゲームを楽しむように、レンジャーを選んで、モノメイト食べて、ボス倒して、レベル上げて・・・たまにみる赤い箱はなんだろう?・・・
まだ攻略本を手にするのは早い、と思って兄も私も手探りで攻略していった。難易度が上がれば上がるほど、辛くなってきて、「難しいよ~」ってなっていた2003年の始め、ある日のこと。
ハードモードの遺跡探索に出掛ける私と兄。ボス倒せるのか・・!?とワクワクしていたところにお父さんの帰宅、
パッパ「モデム買ったきたぞ!ネット繋げようぜ!!」(自慢げにレジ袋ワッシャワッシャしてた)
兄(中2くらい)「おっしゃ!今すぐやろうぜ!!!」(遺跡の最奥なのに即断)
私「え、まだボスまでいってないよお兄ちゃん!?オンラインってあの灰色のモード!?(選択出来なかったから灰色)よくわかんないけど!!!!楽しそう!!!!!」
ある日突然オンラインへの切符を手に入れてしまった。ここから人生が狂い始めたのは私だけではないはず。
何故かその後すぐに兄から「お前は風呂でも入ってろ」とすぐ風呂に入らされ、お母さんからは熱湯風呂60秒カウントクエストを強制受注されたのを覚えている。そこから兄と父の元へと急ぐとすっかり兄とパッパが夢中になってた。
そして我々は無事にオンラインに繋げると、言葉の嵐に見舞われる。
「こんにちは」「よろしくおねがいします」
お兄ちゃんとパッパは、首をかしげる。
「こいつら・・・どうやって喋ってるんだ・・・・早い・・早いぞ・・・」
そう、モデムアダプタを手に入れたから舞台に立てただけであって、序章にすぎない。
キーボードが、無いのだ。ネトゲで、”思うように”喋れないのだ。今では考えられない。
Yボタンを押して、キーボードのような画面を出して、ポチ、ポチ、ポチと一字ずつ打ち、変換・・・あ、違うこの字じゃない・・バックスペース、バックスペース・・・なんてやっていると、日が暮れていた。
あいつらはこんな操作になれていたのか!?いや、そうじゃない。あの文字がやたらと早い彼らは
↑これを用いていた。
それでも、当時ネットで調べる事さえ出来ない私にとっては、ショートカット機能を使ったり、定型文を使ったりして、それっぽくパーティに潜り込む。無言でもいい、敵を狩らせてくれと言わんばかりにライフルを連射する日々だった。私は別に、いつもよりレベル上がりやすい(オンラインだと経験値補正がかかっていた。)し、それだけでもよかった。
しかし、人は上へ、上へと登り詰める生き物である。「レベルが上がった。次の難易度にいこう。」「腹筋20回できた、25回にチャレンジしよう。」「英検3級取れた、準2級取ってみよう。」「オンラインゲームに繋がった、キーボードが欲しい・・・」という考えの持ち主がこの家族の中に居た。
ある日、パッパがいつも通り会社から帰ってくると、
パッパ「有楽町でキボコン買って来たぞ~~!!!」
お兄ちゃん「やったーーーー!!!」
私「うおおおおおお!!!なにそれ!つうか
でけええええええええ!!!」
※超でかい。膝においてプレイとかしないと筋肉痛になるレベルででかい。
ちなみに当時コンピュータークラブに所属していた私は(偶然の産物)
タイピングがクラス1早かった。というかここまでパッパが色々買ってきてくれたのでお察しだと思うんですが、パッパから色々PC関係は教わってました。フロッピィ触らせてくれたのは本当に貴重な体験だったと思ってます。
そうして当時初々しいネットワークのビッグウェーブに乗る準備が整ったのであった。
つづく